韓浩錫「朝・日頂上会談の推進背景と朝・日平壌宣言の歴史的意義」批判

 日朝平壌宣言発表直後の2002年9月23日、米国を拠点に活動を行っている韓浩錫(ハン・ホソク)統一学研究所所長が発表した「朝・日頂上会談の推進背景と朝・日平壌宣言の歴史的意義」(以下、韓浩錫論文)という論文がある。おそらくこの論文を知っている人はそう多くなく、すでに発表から9年が経過しているため、以前読んだことのある人もほとんど忘れているものと思う。

 ただ、本論で記すとおり、韓浩錫論文は独特の日朝平壌宣言解釈でその歴史的意義を高く評価した論文であるため、平壌宣言発表当時は、「経済協力」方式に落胆した人々に注目され若干ながら話題になった。当時は仔細に検討しなかったが、9年後のいま、改めて韓浩錫論文を読み直してみて、そのあまりに牽強付会な平壌宣言解釈に当惑した。統一学研究所のサイトを確認したところ9年前と同様の文章が未だに掲載されているため、ここに取り上げて批判したい。以下、平壌宣言第二項に関する解釈を中心に韓浩錫論文を検討する。

 韓浩錫論文の第二項解釈は以下の二点に要約できる。

 1.朝鮮民主主義人民共和国が従来の立場を変え、日本の主張する経済協力方式を受け容れたとする理解は誤りである。なぜなら、平壌宣言第二項の「財産及び請求権の相互放棄」はソ連や中国、東南アジア諸国家や韓国が行ったものと同様の国際慣例であり、また、「財産及び請求権の相互放棄」という概念を用いたことは、日本が朝鮮民主主義人民共和国を交戦当事国と認め、自らを「戦犯国」と認めたことを意味する。よって、朝鮮民主主義人民共和国は日朝交渉における原則的立場を貫徹したといえる。

 2.そもそも、平壌宣言第二項は財産権と請求権を完全に放棄したのではなく、今後「財産権と請求権問題について具体的に協議する」という意味に解釈しうる。また、経済協力は「財産権と請求権を放棄したことに対する日本の補償ではな」く、朝鮮が「『白頭山二号』発射保留措置を延長したことに対し日本が経済協力という名分で補償するもの」である。よって、朝鮮民主主義人民共和国は過去の清算問題に妥協し、経済協力方式を採用したわけではない。

 第二の点はいずれも韓浩錫氏の憶測・願望に過ぎず検討するに値しないため、ここでは第一の点に絞って検討したい。

 さて、ここで核心的論点となるのは「請求権の相互放棄」に関する理解である。平壌宣言第二項は「双方は、国交正常化を実現するにあたっては、1945年8月15日以前に生じた事由に基づく両国及びその国民のすべての財産及び請求権を相互に放棄するとの基本原則に従い、国交正常化交渉においてこれを具体的に協議することとした」としているが、韓浩錫論文は「財産及び請求権を相互に放棄するとの基本原則」という文言が用いられたことは、従来の国際慣例を適用したものであり、朝鮮民主主義人民共和国を日本が交戦当事国と認めた証拠であるとする。該当箇所を引用しよう。

「朝・日平壌宣言に記録された財産権と請求権を相互放棄する基本原則というものは、国際慣例により成立した原則を意味する。日本と敵対関係にあった国々が日本との敵対関係を清算し、国交を樹立する際、財産権と請求権を放棄することは一種の国際慣例となった。
 過去に、日本と戦争を行ったソ連が1956年10月19日、モスクワでソ・日国交を樹立する際に発表したソ・日共同宣言で、両国は財産権と請求権を相互放棄することにより先例を作り出した。1972年9月に中国と日本が国交を樹立する際に発表した中・日共同宣言でも、ソ・日共同宣言の先例に従い両国が財産権と請求権を相互放棄した。
 日本が戦後処理過程で被害補償協定を締結した国は、フィリピン、インドネシア、南ベトナム(当時)、ビルマ(当時の国名)であった。これら東南アジアの国々はみな財産権と請求権を放棄し、日本は経済協力方式で補償問題を処理した。
 南(韓国)の場合も東南アジアの国々と同様、財産権と請求権を放棄した。
〔中略〕
 こうした歴史的脈絡から見れば、朝・日平壌宣言に現れる「財産及び請求権を相互放棄する基本原則に従い」という文言は、上に言及した国際慣例を適用するというものである」

「財産権〔ママ〕と請求権の相互放棄という政治的概念の中には、誠に驚くべきことに朝・日関係の本質を規定する重大な内容が含まれている。それは北(朝鮮)と日本が互いに戦争を行った交戦当事国の関係にあったという歴史的事実を認定するという内容である。北(朝鮮)と日本が互いに戦争を行ったため、北(朝鮮)にも戦争被害があり、日本にも戦争被害があったことを相互認定するということである。
 国際法上交戦当事国間の敵対関係を清算する際には相互放棄という政治的概念を使う。以前、ソ連、中国が日本と国交を樹立する際、これら両国は日本に対して各々交戦当事国であったため、当然に相互放棄という政治的概念により敵対関係を清算した。」


 結論からいえば、これらの韓浩錫論文の主張は全く成り立たない。

 まず第一に、韓浩錫論文は「賠償請求権」と「請求権」を混同している。サンフランシスコ講和条約に始まる日本と連合国との各種協定は、その多くが連合国の賠償請求権の放棄と、日本・連合国双方の請求権の相互放棄を定めている(*1)。そして、韓浩錫論文の核心ともいえる論点=日本が朝鮮民主主義人民共和国を交戦当事国と認めたのか、を判断するに際して注目すべき点は、「請求権の相互放棄」ではなく、前者の「賠償請求権」の有無である。

 なぜなら、「賠償請求権」の認定は、連合国が日本との交戦当事国かつ戦勝国であるという事実認定を前提としているからである。また、「請求権」についても例えばサンフランシスコ講和条約の場合、「戦争から生じ、又は戦争状態が存在したためにとられた行動から生じた連合国及びその国民に対する日本国及びその国民のすべての請求権」と、明確に「請求権」の生じる原因たる「戦争状態」について明示している。日韓請求権協定には「請求権」に関する言及はあるが、「戦争状態」を原因とするものとは記されておらず、また、「賠償請求権」についての規定もない。連合国が(そして日本が)韓国を交戦当事国と認めなかったからである(*2)。もちろん、平壌宣言第二項にも「賠償請求権」についての規定はなく、「相互に放棄」することになった「請求権」が「戦争状態」を原因として生じたものであるとの規定もない。

 次に、韓浩錫論文の賠償問題についての明らかな事実誤認を指摘しておく必要がある。ざっと見ただけでも以下の三つの事実誤認がある。

 ① フィリピン、インドネシア、南ベトナム、ビルマと日本が「被害補償協定」に基づき、「みな財産権と請求権を放棄し、日本は経済協力方式で補償問題を処理した」と記しているが、誤りである。四カ国が日本と締結したのは「被害補償協定」ではなく賠償協定であり、実施されたのは「経済協力」ではなく賠償である。

 ② 「日本は戦後処理過程でフィリピン、インドネシア、インド、ビルマ〔略〕、中国(当時の台湾政府)と〔サンフランシスコ講和条約とは:筆者注〕別途、講和条約を締結した」としているが、フィリピンはサンフランシスコ講和条約に署名しており、別途締結したのは講和条約ではなく賠償協定であるため、これも誤りである。

 ③ 「中・日共同宣言でも、ソ・日共同宣言の先例に従い両国が財産権と請求権を相互放棄した」とするが、日中共同宣言では「戦争賠償」の放棄のみ規定があり、どこにも「財産権と請求権を相互放棄した」などという規定はなく、誤りである。

 おそらく韓浩錫氏は、そもそもなぜフィリピン等の東南アジア諸国が「連合国」として賠償交渉を行いえたのかについて理解していないものと思われる。サンフランシスコ講和条約は「連合国とは、日本国と戦争していた国又は以前に第二十三条に列記する国の領域の一部をなしていたものをいう」(第25条)としたため、旧宗主国=アメリカ、オランダ、フランス、イギリスが連合国であったこれらの国々もまた「連合国」=交戦当事国と認められた。また、「現在の領域が日本国軍隊によつて占領され、且つ、日本国によつて損害を与えられた連合国が希望するとき」には役務賠償を行う旨しており(第14条a項1)、これによりフィリピン、南ベトナムはサ条約調印後、個別に日本との賠償交渉に入る。さらに同条約は連合国は「この条約の署名国でないものと、この条約に定めるところと同一の又は実質的に同一の条件で二国間の平和条約を締結する用意を有すべきものとする」(第26条)としたため、サ条約に参加しなかったビルマや、批准しなかったインドネシアも個別に平和条約・賠償協定を結ぶことになったのである。

 また、これらの事実誤認のうち、とりわけ③は立論の重要な根拠についての誤りであるため深刻である。論証の根幹の事実認識に初歩的な誤りがある以上、もはや韓浩錫論文は論文としての体をなしていないといわざるを得ない。

 つまり、「請求権の相互放棄」は、それだけでは交戦当事国の認定とは何の関係もないのである。ソ連、フィリピン、インドネシア等は「連合国」=交戦当事国=戦勝国たる地位を得たため「賠償請求権」が承認され、韓国は認められず「請求権」のみ規定された。結果、日韓協定では「請求権」のみが言及されたに留まったのである。なお、日中共同宣言が「賠償請求権」ではなく「戦争賠償」という用語を用いているのは、日華平和条約との整合性にこだわった日本側に配慮した妥協の結果である。

 よって、平壌宣言が「請求権を相互に放棄」するとしたことの意味は、韓浩錫論文のいうように朝鮮民主主義人民共和国が交戦当事国と認められたことを意味するのではなく、むしろその逆のことを意味する。もし、90年代の日朝交渉での朝鮮民主主義人民共和国の主張、つまり朝鮮人民革命軍の抗日武装闘争は対日戦争であり朝鮮を交戦当事国と認め賠償をするべき、との主張を日本政府が受け入れたならば、朝鮮民主主義人民共和国側だけが一方的に「賠償請求権」を求めうる規定が平壌宣言に入ったはずである。だが平壌宣言第二項はそうなってはいない。

 韓浩錫論文は連合国と日本の各種協定と平壌宣言の間にある「賠償請求権」の認定の有無という重大な事実を無視し、「請求権の相互放棄」の部分だけを取り出して、平壌宣言において日本が朝鮮民主主義人民共和国を交戦当事国と認めた、と強弁しているのである。

 以上の検討から、韓浩錫論文の、「財産及び請求権の相互放棄」という概念を用いたことは日本が朝鮮民主主義人民共和国を交戦当事国と認め、自らを「戦犯国」と認めたことを意味する、との主張が全く成り立たないことがわかる。

 なお、韓浩錫論文は「賠償請求権」の放棄に関する歴史的経緯についても誤って理解している。「賠償請求権」の放棄のプロセスは単なる「国際的慣例」によるものではない。日本を反共の砦とし、東南アジアを中国に代わる対日原料供給地/日本の工業製品の購買市場とするための米国の冷戦政策によるものであった。対日戦争により甚大な被害を蒙ったフィリピンが米国の無賠償方針に強く反発したことはよく知られており、結果としてサ条約は賠償請求権を認めながらもそれを放棄するという折衷案を採用し、別途フィリピンは賠償交渉を行えるようになったのである。しかも、ようやく可能になったフィリピン・日本の賠償交渉でさえも、米国の圧力により日本に有利な形で進められることになった。もし平壌宣言とフィリピンの賠償交渉に共通点を見出すとするならば、それは「国際的慣例」としての請求権の相互放棄などではなく、米国の恫喝により対日要求を緩和せざるを得なくなった点にこそ求めるべきではないだろうか。

 韓浩錫論文の提示する、一見後退にみえる平壌宣言が実は朝鮮民主主義人民共和国の原則的立場を貫徹したものであった、というイメージは、以上見たように全く根拠の無いものであり、虚像である。何より、ここで論じた韓浩錫論文の問題点は、日本と連合国の戦後処理についての基本的な事実を知っている者ならば誰もが指摘しうることばかりである。基本的な事実を歪曲して虚像を提示する韓浩錫氏に、私は知的な不誠実さのみならず嫌悪感すら抱く。

 そして、韓浩錫論文の提示した虚像の最大の問題は、全ては朝鮮民主主義人民共和国の意図通りになっているという誤った認識を拡散するところにある。それは結果として今後の日朝交渉を傍観する無行動しか生まない。確かに日韓条約を批判し、90年代の日朝交渉における朝鮮民主主義人民共和国の原則的立場を支持していたものにとって、平壌宣言の発表は誠に衝撃的であった。しかし、だからといって虚像にすがって現実から目をそらしてはならない。現状ははるかに危機的である。

*1 参考までに以下に日本と連合国の間の戦後処理に関する条約の一部を列挙する。

・サンフランシスコ講和条約
第14条
(a) 日本国は、戦争中に生じさせた損害及び苦痛に対して、連合国に賠償を支払うべきことが承認される。しかし、また、存立可能な経済を維持すべきものとすれば、日本国の資源は、日本国がすべての前記の損害又は苦痛に対して完全な賠償を行い且つ同時に他の債務を履行するためには現在充分でないことが承認される。
 よつて、
  1 日本国は、現在の領域が日本国軍隊によつて占領され、且つ、日本国によつて損害を与えられた連合国が希望するときは、生産、沈船引揚げその他の作業における日本人の役務を当該連合国の利用に供することによつて、与えた損害を修復する費用をこれらの国に補償することに資するために、当該連合国とすみやかに交渉を開始するものとする。その取極は、他の連合国に追加負担を課することを避けなければならない。また、原材料からの製造が必要とされる場合には、外国為替上の負担を日本国に課さないために、原材料は、当該連合国が供給しなければならない。
〔中略〕
(b)この条約に別段の定がある場合を除き、連合国は、連合国のすべての賠償請求権、戦争の遂行中に日本国及びその国民がとつた行動から生じた連合国及びその国民の他の請求権並びに占領の直接軍事費に関する連合国の請求権を放棄する。
第19条
(a) 日本国は、戦争から生じ、又は戦争状態が存在したためにとられた行動から生じた連合国及びその国民に対する日本国及びその国民のすべての請求権を放棄し、且つ、この条約の効力発生の前に日本国領域におけるいずれかの連合国の軍隊又は当局の存在、職務遂行又は行動から生じたすべての請求権を放棄する。

・日華平和条約
第11条
 この条約及びこれを補足する文書に別段の定がある場合を除く外、日本国と中華民国との間に戦争状態の存在の結果として生じた問題は、サン・フランシスコ条約の相当規定に従つて解決するものとする。

・日華平和条約議定書
1 この条約の第十一条の適用は、次の了解に従うものとする。
(a)サン・フランシスコ条約において、期間を定めて、日本国が義務を負い、又は約束をしているときは、いつでも、この期間は、中華民国の領域のいずれの部分に関しても、この条約がこれらの領域の部分に対して適用可能となつた時から直ちに開始する。
(b)中華民国は、日本国民に対する寛厚と善意の表徴として、サン・フランシスコ条約第十四条(a)1に基き日本国が提供すべき役務の利益を自発的に放棄する。

・日華平和条約に関する同意された議事録
四、
日本国代表 私は、中華民国は本条約の議定書第一項(b)において述べられているように、役務賠償を自発的に放棄したので、サン・フランシスコ条約第十四条(a)に基き同国に及ぼされるべき唯一の残りの利益は、同条約第十四条(a)2に規定された日本国の在外資産であると了解する。その通りであるか。
中華民国代表 然り、その通りである。

・日ソ共同宣言
6.ソヴィエト社会主義共和国連邦は、日本国に対し一切の賠償請求権を放棄する。
日本国及びソヴィエト社会主義共和国連邦は、1945年8月9日以来の戦争の結果として生じたそれぞれの国、その団体及び国民のそれぞれ他方の国、その団体及び国民に対するすべての請求権を、相互に、放棄する。

・日比賠償協定
第一条 日本国は、現在において千九百八十億円(一九八、○○○、○○○、○○○円)に換算される五億五千万合衆国ドル(五五○、○○○、○○○ドル)に等しい円の価値を有する日本人の役務及び資本財たる日本国の生産物を、以下に定める期間内に、及び以下に定める方法により、賠償としてフィリピン共和国に供与するものとする。

・日本国とインドネシア共和国との間の平和条約
第四条 1 日本国は、戦争中に日本国が与えた損害及び苦痛を償うためインドネシア共和国に賠償を支払う用意がある。しかし、日本国が存立可能な経済を維持すべきものとすれば、日本国の資源は、戦争中に日本国がインドネシア共和国その他の国に与えたすべての損害及び苦痛に対し完全な賠償を行い、かつ、同時に日本国の他の債務を履行するためには十分でないことが承認される。
〔中略〕
2 インドネシア共和国は、前項に別段の定がある場合を除くほか、インドネシア共和国のすべての賠償請求権並びに戦争の遂行中に日本国及びその国民が執つた行動から生じたインドネシア共和国及びその国民のすべての他の請求権を放棄する。

・日中共同声明
五 中華人民共和国政府は、中日両国国民の友好のために、日本国に対する戦争賠償の請求を放棄することを宣言する。

*2 日韓請求権並びに経済協力協定の「請求権」に関する規定は以下の通りである。

・日韓請求権並びに経済協力協定
日本国及び大韓民国は、
 両国及びその国民の財産並びに両国及びその国民の間の請求権に関する問題を解決することを希望し、
 両国間の経済協力を増進することを希望して、
 次のとおり協定した。
第二条
1 両締約国は、両締約国及びその国民(法人を含む。)の財産、権利及び利益並びに両締約国及びその国民の間の請求権に関する問題が、千九百五十一年九月八日にサン・フランシスコ市で署名された日本国との平和条約第四条(a)に規定されたものを含めて、完全かつ最終的に解決されたこととなることを確認する。

by kscykscy | 2011-12-29 01:36 | 日朝平壌宣言批判
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