「超左翼おじさん」=松竹伸幸氏の植民地認識批判

 「超左翼おじさん」こと松竹伸幸氏(以下敬称略)が、「韓国植民地支配での菅総理談話」と題して連載している。「韓国植民地支配」という表現にすでに違和感をおぼえるが、そもそも松竹は植民地化をめぐる基本的な事実を誤って理解している。以下の引用を見よう。

 「例外もあるかもしれないが、欧米の場合、そもそも条約によって植民地にするという事例が、あまりないと思う。だって、植民地支配というのは、もともとそういうものではないからだ。
 列強がつくった国際法では、条約を結ぶ相手というのは、対等平等な主権国家であった。そういう国家は、植民地支配の対象にならない。
 「国際法」上、植民地にしていいのは、いわゆる「無主」の地だけ。人びとは住んでいるけれども、西欧的な意味での国家はなく、「主」はいない。
 法律では、「先占」という考え方がある。誰のものでもないものを見つけた場合、一番先に見つけた人のものになるということだ。それが動産なら、見つけた個人のものになり、不動産なら、個人が所属する国家のものになる。
 だから、誰の土地でもないのだから、見つけた国のものだ。こうやって、列強は、アフリカ、アジアの広大な土地を植民地にしていったのである。
 だから、当然、条約は結ばない。結ぶべき相手がいないのだ。」(「韓国植民地支配での菅総理談話・2」

「ただ、これもすでに書いたが、日本の植民地支配というのは、独特のものがあった。欧米によるものとは異なった要素があった。
 欧米は、はじめて出会った土地に行き、異なった人種、違った文明に接した。そして、この地域にあるのは「国家」ではない、「無主の地」だとして、植民地支配を行った。
 けれども、日本にとっての朝鮮半島は、何千年もの交流があった地域である。西欧的な国際法基準に照らすと、植民地支配が合法化されるのには無理があったのだ。
 もちろん、日本がいち早く西欧的な国家を築き、朝鮮半島はそれに遅れたわけだから、その角度から見ると合法化できる要素がなかったわけではない。だからこそ列強は日本の植民地支配を認めたのだが、当時の法的水準から見ても、問題がまったくなかったとまでは言えないのだと思う。」( 「韓国植民地支配での菅総理談話・6」
  この文からわかるように、松竹は「アフリカ、アジアの広大な土地」を植民地化するにあたって列強は条約を結ばなかった、なぜなら当時の国際法では「無主の地」だけが植民地にできるからだ、しかし日本と朝鮮は「何千年もの交流があった」ため「西欧的な国際法基準に照らすと、植民地支配が合法化されるのには無理があった」と主張している。だがこの主張は端的に誤っている。

 まず、アフリカから見よう。西欧諸国がアフリカの植民地化を本格化させた時期(「アフリカ分割期」)は19世紀後半である。そしてこの「分割期」におけるアフリカ-ヨーロッパの関係においては、「後者が作成した文書にアフリカの首長たちが調印した『条約』が、国際法の『勢力範囲』を示すために用いられるのが常であった」(岡倉登志『二つの黒人帝国』東京大学出版会、1987年、133ページ)。つまり、ヨーロッパ諸国は「アフリカ、アジアの広大な土地」を植民地化する際にも条約を結んでいるのである。むしろ問題はヨーロッパ諸国がそこに「国家」などない「無主の地」だとみなしたことにあるのではなく、侵略戦争の過程で同地に条約締結の相手をデッチ上げたことにあるといえるだろう。アジアでも仏領インドシナの「保護国」化は数次のサイゴン条約によって確定したことは周知の事実である。これなどは朝鮮植民地化とほぼ同様のケースといえよう。

 日本はこれらヨーロッパのやり方を踏襲したのである。ただ、この時期の特徴は、松竹がいうように「無主の地」を条約無しで植民地化していったことなどではなく別のところにある。それは、リビアの植民地化が北アフリカでのイタリアとオスマン帝国の戦争の結果としてなされ、あるいは台湾が日清戦争の結果として日本に植民地化されたように、ヨーロッパ諸国が広大な領土を有しその周辺地域にも影響を及ぼした帝国国家(例えば清帝国、オスマン帝国など)から戦争と条約によって領土をもぎとっていった(つまり「割譲」)ことにある。サハリン島南部が日露戦争の結果、日本に植民地化されたのも同様の事例といえよう。むしろ台湾のケースのように、はじめ日本が「無主の地」云々と因縁をつけても、清や台湾の住民がそれを認めず、結果として戦争に至り、最終的には条約によって植民地化するというのが常套手段である。松竹の「無主の地」云々という論法は、侵略国側の当初の言い分を、植民地化の歴史的事実であるかのように記述するものであるといえよう。

 ただ、これらの戦争の結果としての講和条約による割譲は、「国家への強制」として当時の国際法が認めていたものであるため不法・不成立の論証が困難なのである。また条約締結相手をデッチ上げての植民地化も、史料の不存在などの諸他の理由により、朝鮮植民地化のケースのように条約締結過程の合法性の論証が困難な場合が多い。それではこれらの国々の植民地支配を問題にすることは不可能なのだろうか。答えはノーである。

 そもそもダーバン会議に代表される世界的な植民地支配をめぐる論議において問題になっているのは、植民地化を決定づけた条約の合法性ではない。「植民地支配の法的責任」というとき、多くの場合念頭におかれているのは植民地支配の全期間中に行われた旧宗主国の行為に「人道に反する罪」を適用するかどうかである。「人道に反する罪」とは「謀殺、絶滅を目的とした大量殺人、奴隷化、追放その他の非人道的行為」であり、かつこれは法制定以前に遡って適用した前例がある。ナチスのケースである。このため、すでに1950年代より、ならばヨーロッパ諸国の植民地支配過程・支配期間中における行為にも同様に「人道に反する罪」を適用せよ、との声があがったのである(例えばエメ・セゼール『植民地主義論』を参照)。よって、植民地化を決定づけた条約の合法性とは無関係に、「植民地支配の法的責任」は成り立ちうるといえる。つまり、仮に併合が「合法」であるとしても(私は不法論が妥当だと思うが)、「植民地支配の法的責任」は無くならないのである。逆に、今後植民地支配責任追及の声に応え、旧宗主国側が積極的に史料を調査・公開すれば、他のケースにおいても条約締結過程の様々な瑕疵が明るみになることもありうるといえる。

 松竹の問題は、以上みたような誤った理解と認識に基づき、日本政府に高い評価を与えていることにある。松竹はダーバン会議における「日本の謝罪は、国際水準からすれば進んでいる」(「韓国植民地支配での菅総理談話・5」 )と称えているが、日本政府は上述の植民地支配をめぐる議論を知っているがゆえに、ダーバン会議の最中も「謝罪は認めるが、補償義務や人道に対する罪は認めない」という立場を堅持し、補償条項が入らないようロビー活動に専念したのである(前田朗「植民地支配、奴隷制で日本を追及」『部落解放増刊号』502号、2002年、131、132頁)。そもそも日本政府は村山談話でも「謝罪」という語は避け、「おわび」という表現を用いた。「おわび」の英訳を"apology"としたため、英語ではあたかも謝罪をしたかの誤読してしまうのである。日本政府は条約締結過程の問題についても不法・不成立という立場を取らない一方で、世界的に問題になっている「植民地支配の法的責任」論議においても、これを認めないヨーロッパ諸国と歩調を合わせているといえる。松竹の主張するようにヨーロッパより日本が先んじているという事実はどこにも存在しないのである。
by kscykscy | 2010-08-24 01:04 | 日朝関係
<< 『民団新聞』の「無償化」排除擁... 菅談話と日韓条約について >>