戦後日本政府の在日朝鮮人「政策」と強制連行問題

 少し前の話になるが、宮台真司が永住外国人の参政権に反対する文章を書いた。結論からいえば、特別永住者は帰化すればいい、という古典的な反対論であってとりたてて新しい知見があるわけでもない。ただ、宮台は一つだけ「新しい知見」を提示している。その「新しい知見」とは、日本政府がこれまで、現存する在日朝鮮人の大多数は強制連行による被連行者及びその子孫であるという「図式」に基き「在日政策」を立ててきた、という驚愕の新説である。

 該当部分を引用しよう。

「つまり、特別永住外国人(在日の方々)を一般永住外国人(非在日)と区別して参政権を与えるべき合理的な理由があるかどうかだけ議論してます。ここを取りのがした議論は、僕を相手にした議論にはなりません。
 この1点を議論するにはさして知識は必要ありません。1950年代後半から「在日=強制連行」図式が拡がり、これをベースに北朝鮮への「帰国運動」が自民党さえも巻き込むという文脈の中で、在日政策が固められていきます。しかし「在日=強制連行」図式は単なる虚偽でした。
 8割(それ以上という説もありますが厳密には検証不能)の在日が「強制連行」ではなく「一旗あげにきた人々」である以上「在日=強制連行」図式は不正確というより事実上虚偽です。でも僕の小学校時代(1960年代)6つの小学校に通ったけど、とこでも在日=強制連行と教わりました。
 図式が虚偽である以上、虚偽を前提にした政策の妥当性に疑問があります。これを疑問に付すことなく、一般永住者からとりわけ区別して特別永住者を処遇して参政権を与えねばならないと議論しても、まったく通用しません。」
http://www.miyadai.com/index.php?itemid=866

 「特別永住者の方々が最初は2世までという約束で基本的には国籍を取っていないのに日本人に準じる権利を様々に与えられというのは、ご存知のように在日の方々の多くが強制連行で連れてこられたという左翼が噴き上げた神話が背景にあるんです。在日のなかで強制連行されてきた方というのはごく一部で、大半は一旗上げにやってきた人達なんですよ。ただ、区別がつかないから、あるいは戦争に負けて罪の意識というか原罪感覚というのがあったのでしょうか、まぁ、色んな人が混ざっちゃっているけど、しょうがないということで分かってやっている感じで特別永住の方々に対する特権の付与をやってきたわけです。僕に言わせると、あえてそれをやっているという感覚が段々薄れてきてしまっていることも問題だし、1世、2世とは違ってエスニックリソースを頼らず、日本人のネットワークをそれなりに頼っている人間が増えたのに、まだ4世、5世にも特権を与えるのが続いているのはおかしいし、」
http://blog.goo.ne.jp/politics10/e/db217173910b0fe7fc6ba53f88ae4251

「#miyadai 追加情報。慰安婦問題と結合して強制連行をマスコミが吹聴したのが80年代。研究者や政治家が強制連行問題を俎上にあげたのは59年以降(朝日新聞記事)。だから僕の小学校時代の強制連行図式の教育がありました。神話は二段階で形成された。 帰国運動は59年から84年まで。 」
http://www.miyadai.com/index.php?itemid=868


 以上である。つまり、宮台によれば日本政府は「『在日=強制連行』図式」を前提に在日朝鮮人の法的地位に関する政策を採ってきたのであるが、その「図式」は虚偽であるため「在日政策」も変更すべきである、ということになる。よって特別永住外国人が日本国籍を取得しないまま地方参政権を取得することには反対だ、というわけだ。

 宮台の議論については金明秀がこれを批判して、両者の間に若干の論争があったようだが、この部分については全く触れられぬまま終息を迎えたようである。私は宮台の議論は「『帰化すればいい』という傲慢」ともいえるものであり、ヘイト・スピーチであるという金明秀の結論に賛同するのであるが、なぜ金がこの点に触れず、また、宮台がこの説を維持しているのにも関わらず矛をおさめて和解したのか理解しかねる。

 問題点は極めて単純である。宮台のいうところの「『在日=強制連行』図式」に則って日本政府が「在日政策」を立てたことなどあるのか、ということである。私の知る限りそんなことは一度も無かった。もしあるというなら宮台は論拠を示すべきだろう(まさか小学校時代の教師の言が証拠とでもいうのだろうか)。例えば、1952年に法律126号「ポツダム宣言の受諾に伴ない発する命令に関する件に基づく外務省関係諸命令の措置に関する法律」(いわゆる法126)の第二条六項で在日朝鮮人の在留が「在留資格なき在留」となったとき、あるいは、1965年の日韓法的地位協定の締結過程で、あるいは1991年の入管特例法の制定過程で、日本政府は「『在日=強制連行』図式」を前提にしていたという論拠を、である。できないのであれば(十中八九できないだろう)、それこそ宮台の流した最大の「デマ」である。

 むしろ歴代の日本政府の発想は宮台のそれに近い。例えば、在日朝鮮人の法的地位をめぐる日韓交渉でも、日本政府はできるだけ永住許可の対象を狭く限定し、特に子孫については極力これを排除しようとした。宮台は「まだ4世、5世にも特権を与えるのが続いているのはおかしい」と言っているが、日本政府も同じようなことを考えていたのである。それでも日本政府の主張より永住許可の対象が広がったのは、何も政府内に「『在日=強制連行』図式」があったからではない。韓国政府が求めたからである。

 同時代の言論も別にこうした政府の姿勢を批判していたわけではない。有名な社説だが、例えば日韓協定締結をうけて『朝日新聞』は次のように日本政府を批判している。

「厳密にいうならば、在日韓国人に永住権を認める範囲は、サンフランシスコ平和条約発効前に日本に在住していた韓国人にかぎられるべきであろうが、日本政府は韓国の主張に歩みよって、日韓会談の協定発足後五年以内に生れた韓国人に永住権を与えるところまで、譲歩しているといわれる。ところが、韓国側はこれにたいして、在日韓国人の子々孫々にまで永住権を与えるよう主張し、その理由として、在日韓国人の二世、三世になるほど日本への定着性が強まることをあげているようである。しかし〔中略〕在日韓国人の子孫全部にそうした権利を認めることは、韓国人が外国人でありながら、日本において特権的な地位を持つという不合理な事態を招くことになろう。また、在日韓国人が韓国人でありながら、実質的に日本国内で少数民族を形成するということにもなりかねまい。むしろ、一定の時期以後に生れた在日韓国人は成人するまでは永住権を持つものと同様にあつかい、それ以後は一般外国人と同様になるか、あるいは帰化するかの道をえらぶべきではあるまいか」(1965年3月7日付「在日韓国人と永住権の限界」、強調引用者。以下同。)

「子孫の代まで永住を保障され〔中略〕るとなると、将来この狭い国土の中に、異様な、そして解決困難な少数民族問題をかかえ込むことになりはしまいか。出入国管理上の、一般外国人の取扱いに比してあまりにも”特権的”な法的地位を享受することが、果して在日韓国人のためになると、一概に決めこむが出来るかどうか、民族感情というものの微妙さ、複雑さはいまさら言うまでもなく、その意味で将来に禍根を残さないよう、法律上のスジを通しておくことがとくに肝要だといいたい」(1965年3月31日付「『法的地位』には筋を通せ」)


 どうだろうか。二世、三世以降への永住「権」付与を「特権」と呼ぶところや、それらが「果して在日韓国人のためになると、一概に決めこむが出来るか」など、在日朝鮮人のためを思って言っているといわんばかりの主張をしていることなど、私にはこの1965年の朝日の社説は、2010年の宮台の議論ととてもよく似ているように見える。つまり、宮台の議論はこうした戦後日本の政府やマスコミの議論の「伝統」から寸分も逸れることのない、まさに古典的かつ凡庸な議論なのである。むしろ宮台はこれまでの認識は間違っていたなんてハッタリをかまさず、こうした戦後日本の「伝統」の継承者として振舞えばよい。ちなみに、これは在特会も同様である。在特会は基本的に戦後日本政府のやり口を模倣しているに過ぎない。特別永住を「特権」と名指すこともそうであるし、朝鮮学校に暴力的に押し入ることだって、90年代に散々日本政府が繰返したことである。

 私が危惧するのは入管特例法が国内法という形式で制定されてしまったことにより、日本政府やマスメディア(及びそれを反復する宮台や在特会)のような「在日特権」論に基く在日朝鮮人の在留権の侵害が、現実に起る可能性が戦後のいずれの時期によりも高くなっていることである。これについては入管特例法制定当時の金敬得の以下の評価を改めて思い起こすべきである。

「九一年協議の結論が国内法的効力を有する条約の形式をとらなかったことは、結果として、在日韓国・朝鮮人の法的地位問題をできるだけ日本のフリーハンド(国内問題)にしたいとの日本側の思惑に合致することになったが、そうなったことの背景には南北の分断状況が影を落としている。〔中略〕九一年覚書は、在日韓国・朝鮮人に認められた権利の内容面では、六五年の法的地位協定よりも優れていたが、法形式の面では、法的地位協定よりも劣るものとなった(九一年覚書も両国外相により署名された国際的合意であり、日本政府が韓国との関係において覚書に拘束されることは、日韓法的地位協定の場合と変わりはない。ただし、日韓法的地位協定は、それ自体が法律に優先する国内法的効力を有するのに対し、九一年覚書にはそのような国内法的効力はない)」(金敬得「九一年日韓覚書後の法的地位の課題」『新版 在日コリアンのアイデンティティと法的地位』明石書店、2005年、186-188頁)

 少し説明が必要だろう。1965年の地位協定は言うまでも無く日韓の条約という形式で結ばれたため、対象となる「在日韓国人」の法的地位をいじるためには、協定の改訂、即ち韓国側の同意が必要となる。だが91年覚書は日本国内法で在日朝鮮人の在留資格を定めることを決め、実際その後入管特例法が制定された。入管特例法は65年協定よりも内容においては改善があったが、これはあくまで日本の国内法であるため、究極的には韓国の同意を得ずに在日朝鮮人の法的地位をいじれるようになる。しかも、入管特例法は朝鮮籍者も含んでいたので、当時始まっていた日朝交渉において在日朝鮮人の法的地位が取り上げられることを日本側は避けることもできて一石二鳥である(逆にいえば朝鮮民主主義人民共和国は在日朝鮮人の法的地位改善のために日本側に要請する建前を失う)。だから、金は「法形式の面では、法的地位協定よりも劣るものとなった」と評価したのである。

 当時、入管特例法についてはほとんどが内容面での前進を評価するものであったが、金敬得はそのなかで数少ない法形式面での後退を指摘した論者だった。こうした指摘はいわば、今後日本政府が入管特例法を改悪しないとも限らないという、日本政府についての(私からみれば正当な)不信が無ければなしえない。おそらく当時は国内法形式に対し、国家の都合で在日朝鮮人の地位が「翻弄」される条約形式よりまし、というのが大勢だったのではなかろうか。だが今日の視点から見れば、それは今後日本政府がこれ以上悪くなることはないということを暗黙の前提にしたあまりに楽観的な認識であったように思う。現に戦後日本の「伝統」の上に立つ在特会や宮台のような議論が決して少数派としてではなく存在し、しかもその声はより強まっている。再言するが、私は金敬得の91年覚書の評価、そしてその背後にある日本への不信は極めてまっとうなものであると思う。

 強制連行に話を戻すと、近年しきりに朝鮮人強制連行が攻撃されているのは、在日朝鮮人の歴史から植民地支配の痕跡を抹消することにより、上述のようないわばこのように日本政府が法形式面でのフリーハンドを握っている状態を前提にした「在日特権」論的在留権制限の政策化のための、いわば露払いであるように思う。私はむしろ日本政府は敗戦直後から強制連行(強制労働含む)の事実とその責任を直視し、それらへの反省に基いた政策を立てるべきだった、と考えている。もちろん在日朝鮮人の形成は強制連行のみならず、日本の植民地支配の直接的な結果なのであるが、だからといって逆に強制連行を外して在日朝鮮人の存在を理解できるわけでもない。

 宮台は強制連行そのものを否定しているわけではないと言っているが、そもそも朝鮮人の日本渡航を「一旗あげにきた人々」という表現で示すこと自体、在日朝鮮人の形成についての認識に問題があるのだ。強制連行でなければ「一旗あげにきた人々」であるという二分論は極めて乱暴であるばかりか、「一旗あげにきた人々」というイメージは、在日朝鮮人形成の背後にある植民地支配による農村経済の破壊という現実を無視するものである(むしろ「一旗あげにきた人々」というのは、在日朝鮮人よりも在朝日本人の実態に近い)。強制連行否定論者は在日朝鮮人を日本での生活に憧れてやってきた「移民」として表象しようとする。自発的移民ならば、その処遇について日本政府に何ら負い目を持つ必要はない、むしろ別途の処遇をすればそれは「特権」となる、というのが現代の歴史修正主義の論法だとすれば、宮台はそれを正確になぞっているのである。そして、何より私が危惧するのは宮台のような誤った認識が流布されるなかで、それを批判する側までもが、在日朝鮮人という存在が形成される過程において「強制連行」が持つ比重を過小に評価し、あるいは意図的にこれを避けるようになることである。
by kscykscy | 2010-04-23 02:20 | 日朝関係
<< 「在日朝鮮人に北朝鮮国民は一人... 何に怒るのか――朝鮮学校と高校... >>