まず、国号を「侵略」にしてから

 友人に薦められて松浦玲『日本人にとって天皇とは何であったか』(辺境社)を読んだのだが、これがすこぶる面白かった。主題は天皇制論、国家論なのだが、論理が明晰な上、天皇制批判・日本国家批判(これを分けているところがミソなのだが)という視座が明確なので、朝日国交正常化問題を考える上でも参考になる部分が多い。例えば以下の記述。

 「私は、いま騒がれている日中国交回復とか日中友好とかに、あまり賛成でない。それには、いろいろ理由があるのだが、それはさておき、ここで一つの提案をしておこう。もし本当に日中友好とか国交回復とか言うのであれば、日本はまず、中国を侵略した戦争の”功労”に対する叙勲をすべて取り消せ。また、中国を侵略した”功労”を含む旧軍人の階級に対して与えられている軍人恩給をとりやめろ。中国から要求されて(そんな要求はしてこないだろうが)取り消すのではなくて、自発的に取り消せ。それをやることがどんなにつらく、どんなに大変かを身にしみてわかって、はじめて、日本人の対中国観およびそれと裏腹の関係にある自国についての国家観は、幾分でも是正され、本当の意味での国交、日中友好が、少しはできるだろう。」(161頁)

  1971年に書かれた文章だが、当然の指摘だろう。私は松浦氏の朝鮮について語った文章をまだ知らないのだが、少なくとも基本的な観点としては、「隣国なのに国交正常化していないのは異常だ」とか、「「嫌いな国」に変わって欲しいなら国交正常化しよう」といった低劣な言葉しか吐けない「提言」の執筆者たちに比べれば、はるかにまともだ。松浦氏は数少ない、辛うじて正気を保っている日本人だと思う。

  ただ一点、首を傾げざるを得ない箇所があった。松浦氏は叙勲制度批判の文脈で、「日本」は敗戦の時点で国号を変えるべきだったとして、次のように書いている。

  「どんな名前でもいい。ごく即物的に「東アジアの火山列島」でもいいし、抽象名刺にして、たとえば「平和」でもいい。
 「平和」としようか。「日本」という国のためだったことは、「平和」という国にとっては、何の意味もないのである。「日本」の国への忠誠は、場合によっては、「平和」という国への反逆を意味する。「日本」から貰った勲章など大事に持っていてはあぶない。さっさと捨てるか、どうしても惜しければ穴を掘ってかくしておかねばならない。叙勲漏れがあったから勲記・勲章を伝達してやろうと亡命「日本」政権からひそかに連絡して来ても、大部分の「平和」国人は、そんな物騒なものは要らない、と断わるだろう」(158頁)


  確かに「日本」の国号は変わったほうがよかった。今からでもかえるべきだ。「そもそも国号なんてあること自体ナンセンス」といった一見ナショナリズムを批判しているようで、その実何も言っていない人畜無害(有害?)の「国民国家論」の立場にも、私は立たない。

  ただ、その際に「平和」という国号を提案するのは、少し甘くないだろうか。元「日本」が「平和国」を名乗れると思ってしまう感性には、私はついていけない。100年近く周辺地域を侵略し続け、人々を殺戮した国が、突然戦争に負けたからといって「平和」という国号を名乗ることが、被侵略地域の人々に寒々しさを感じさせないだろうか。少なくとも私は感じる。何が「平和国」か、冗談も休み休み言え、と思う。というよりも、もう「日本」には、相当なことでも無い限り(たぶん無い)、「平和国」を名乗る資格は無いのだ。

  しかし、繰返すが国号は変えた方がいいという松浦氏の提案は筋が通っていると思う。そこで私からも提案するのだが、いっそ「日本」は国号を「侵略」にしてはどうだろうか。正式名称は「侵略国」である。

  何を物騒な、むしろ周辺地域に威圧感を与えるではないか、と思う人もいるかもしれないが、それは違う。逆である。古今東西、自分の侵略行為を「侵略」と呼ぶ国家など存在しない。文科省が「進出」に書き換えさせたりしてるのがいい例だ。だからこそ、日本人(つまり侵略人)自らが国号を、自発的に「侵略」にすることに普遍的な意味があるのだ。

  100年に亘って他地域を侵略し続けたのが、近代「日本」の最大の特徴なのだ。それは問題だ、償いたい、謝りたいと思っているのならば、突然「平和国」などに豹変するよりも、「侵略国」と名乗って「私たちは国家の侵略を許し、それに乗じてしまった責任のある集団です。私たちに警戒してください。私たちがしたことをどうか忘れないでください」というメッセージを発したほうが、よっぽど「平和」に貢献できるはずだ。

  今の「日本」という国号も、確かに被侵略地域の人々にとっては十分気色悪い。だがそれはあくまで「イルボン」とか「リーベン」とか呼ばれている限りのものであって、当の「日本」人は結構居心地がよさそうだ。何より「侵略」に比べてメッセージ性も弱い。

 いま日本にいる朝鮮人は「在日朝鮮人」と呼ばれていて、申し訳程度に「旧植民地出身者」とかなんとかわかったようなわからないような名称で呼ばれたりもするのだが、これが「在侵略朝鮮人」とか「在侵朝鮮人」とかいう名称に変われば、問題の本質がすっきりと伝わる。聞きかじった知識をひけらかしたい人々が開陳する、「在米コリアンはこうなのに、在日はいまだに居住国の国籍もとらず、古い」式の愚劣な議論にも付き合う必要もない。なぜなら侵略国にいる朝鮮人なのだから、侵略国の国民にはなりたくないだろう(もちろん米国にもふさわしい名前をつけるべきだが)。

  上では日本人が自発的に、と書いたが、それは現時点では望むべくも無い。むしろ、今後国号一般について、その国に侵略されたことのある地域の人民が投票で決めたらいいのではないか。日本の場合、「有権者」はすこぶる多そうだ。もっといい名称がしのぎを削るにちがいない。とりあえず私は「侵略」に一票投じよう。くだらない日本の参政権よりそっちの権利のほうが欲しい。
by kscykscy | 2009-01-21 20:18 | 日朝関係
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