「共同提言 対北政策の転換を」を批判する③――「戦後日本」礼賛

 前回、「提言」が「介入の論理」に立って日朝国交正常化を説いていることを批判した。「侵略責任継承国」としての日本が、その責任を果たすために日朝国交正常化を求めるのではなく、「北朝鮮」に「変わってほしい」ために国交正常化を求めるという論理である。

  では「提言」は、そもそも敗戦後の日本と被侵略国・地域との関係をどのように認識しているのだろうか。それは、一言でいえば「戦後日本」礼賛である。今回は、前回後述すると記したこの論点について、批判することにしよう。「提言」は次のように記す。

「植民地支配は一九四五年に終わった。そのときから六三年が経過したが、朝鮮北部に生まれた朝鮮民主主義人民共和国との間には、植民地支配の清算がいまだ終わっていない。 日本は一九四五年八月一五日以前の関係を清算する作業をアジア諸国との間でながい歳月かけて行ってきた。この国との清算は最後に残った作業である」(124頁)

  一読してわかるように、「提言」は敗戦後日本の歴史を、アジア諸国との間で「関係を清算する作業を」「ながい歳月かけて行ってきた」歴史として提示する。ここではその「作業」の内実についての批判意識はかけらも見えない。だが問題がより明確化するのは、日韓関係についての記述である。「提言」は1965年の日韓条約締結の際にはわずかに「椎名外相が仮調印のさいの共同コミュニケの中で「このような過去の関係は遺憾であって、深く反省している」と述べたにすぎない」ことを紹介し、次のように記す。

「日本政府が植民地支配について正式に表明したのは、それから三〇年後の一九九五年の村山首相談話においてである。〔…〕そしてこの内容が一九九八年の日韓共同宣言において、韓国金大中大統領に向かって小渕首相から表明されたのである。これによって南の大韓民国との清算は、曲がりなりにも果たされた と考えられる」(125、126頁)

  「提言」は明確に98年の日韓共同宣言において「清算」は「果たされた」と記している。これを「日韓条約は問題だが、共同宣言では問題が克服された」という意味にとるべきだろうか。共同宣言は日韓条約よりは「マシ」になった、そう理解しているのだろうか。一見そう読んでしまいそうになるが、実はそうではない。日韓共同宣言の全文を読んでみると、それがよくわかる。まず共同宣言の有名な第二項を見てみよう。

「2.両首脳は、日韓両国が21世紀の確固たる善隣友好協力関係を構築していくためには、両国が過去を直視し相互理解と信頼に基づいた関係を発展させていくことが重要であることにつき意見の一致をみた。
 小渕総理大臣は、今世紀の日韓両国関係を回顧し、我が国が過去の一時期韓国国民に対し植民地支配により多大の損害と苦痛を与えたという歴史的事実を謙虚に受けとめ、これに対し、痛切な反省と心からのお詫びを述べた。


  確かに、平壌宣言と同様「多大の損害と苦痛を与えた」と記されている。日韓条約の際に植民地支配について言及が無かったことに比べれば「進歩」に見えなくはない。だが問題は次だ。共同宣言の第三項は次のように記す。

「3.両首脳は、過去の長い歴史を通じて交流と協力を維持してきた日韓両国が、 1965年の国交正常化以来、各分野で緊密な友好協力関係を発展させてきており、このような協力関係が相互の発展に寄与したことにつき認識を共にした。小渕総理大臣は、韓国がその国民のたゆまざる努力により、 飛躍的な発展と民主化を達成し、繁栄し成熟した民主主義国家に成長したことに敬意を表した。 金大中大統領は、戦後の日本の平和憲法の下での専守防衛及び非核三原則を始めとする安全保障政策並びに世界経済及び開発途上国に対する経済支援等、国際社会の平和と繁栄に対し日本が果たしてきた役割を高く評価した。両首脳は、日韓両国が、自由・民主主義、市場経済という普遍的理念に立脚した協力関係を、両国国民間の広範な交流と相互理解に基づいて今後更に発展させていくとの決意を表明した。」

  ここでは日韓条約以後、両国が「友好協力関係を発展させてき」たことが述べられ、ついで小渕首相が韓国が「飛躍的な発展と民主化を達成し」たことに「敬意を表し」、それに対し金大中大統領が戦後日本の安保政策と、「世界経済及び開発途上国に対する経済支援等」の役割を果たしたことを「高く評価した」とされている。

  ここからもわかるように、共同宣言は植民地支配責任の問題について日韓条約の問題点を克服した宣言というよりも、日韓条約後の両国の関係を礼賛した宣言なのである。しかも、韓国の「発展と民主化」が、あたかも日韓条約によってもたらされたかのように記されている。金大中大統領が「高く評価した」日本の「開発途上国に対する経済支援」には、日韓条約による経済協力が含まれていると考えるべきだろう。日韓条約による経済協力も含めて、金大中大統領が「高く評価した」のが、この日韓共同宣言なのである。

  こうした認識を踏まえるならば、「提言」は日韓条約後の両国関係を礼賛するこの共同宣言によって「清算」が「果たされた」と強弁していることになる。「提言」は第三項を完全に無視することによって、共同宣言が「お詫び」という文句を入れて日韓条約の問題点を克服したかのように偽装しているのである。こうした偽装を積み重ねることによってしか、「提言」は、「関係を清算する作業を」「ながい歳月かけて行ってきた」歴史としての日本の戦後史を描けなかったともいえるだろう。

  以前批判した「平壌宣言=実質的補償」論は日韓条約と平壌宣言の違いを強調していた。これは平壌宣言の「意義」を顕彰するための屁理屈に過ぎないのであるが、それでも一応日韓条約形式に対する批判意識はあった。だが、こと「提言」に至っては、共同宣言の恣意的な解釈によって、日韓条約への批判意識すら完全に吹き飛んでしまっているといわざるを得ない。そこにあるのは真摯に日本の侵略を問い直し、被害に向き合う姿勢ではなく、「戦後日本」を礼賛し、肯定したいという欲望だけだ。
by kscykscy | 2008-12-28 01:04 | 世界「共同提言」批判
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